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売上を上げる集客ホームページ制作なら神奈川県藤沢市のソニド-SONIDO-

【今だけ無料】理想のお客さんをグイグイ引き寄せるホームページの秘訣

プロフィール

 
  2020/10/13

SONIDOでは、ご提供しているサービスのすべてに代表を務める須山が携わっております。
そういう意味では、弊社のメイン商材は”須山三郎”であると言っても過言ではないかもしれません。

そこで、みなさまにSONIDOのサービスをより深く知っていただけるよう、この“須山三郎”という人間についてもちょっとだけご紹介しておきたいと思います。

 

1977年12月24日、鳥取県の米子市に生まれる。

寡黙な建築士の父と笑い上戸の母、二人の兄に囲まれて男三兄弟の末っ子としてぬくぬくと育ちました。
一般的な末っ子のイメージ通り、幼い頃から甘えん坊で寂しがりやです。

とはいえ、父や母にべったりしているタイプではなく、兄たちの仲間に入れてもらおうとその背中を必死に追いかける”お兄ちゃん子”だったようです。

当時の自分としては「兄ちゃん大好き」という感覚はありません。どちらかというと、同じ男としてけんかでも勝てないし、新しい遊びや自分の知らないことを知っているから「兄ちゃんたちはすごい」という憧れのような気持ちで、夢中になって追従していたような気がします。

そんな私も、中学に入る頃には無事にお兄ちゃん子を卒業、それと同時に兄弟げんかもほとんどしなくなりました。以来、仲のいい関係です。

とくに次男の兄は歳が近いこともあって、両親や友達にも話さないようなことを語り合える貴重な存在になりました。

彼は行動や思考、哲学がとてもユニークで・・・シンプルに言えば変わり者ですが、大人になりかけの私にはそのすべてが魅力的に映り、人格形成において凄まじく影響を受けました。

 

鳥取県立米子東高等学校に入学。

高校時代は俗にいう「落ちこぼれ」でした。地元では進学校と言われている高校に入ったものの、将来が見えていないので勉強をする気にもなれず、とにかく遊んでばかり。

幸か不幸か友達も多く、家に帰れば親友以上の存在の次男がいるおかげで、遊び仲間に困ることはありませんでしたが・・・

その結果、当然ながら勉強の単位は足りず、停学処分を受けていたこともあり、高校二年のときに留年の危機が訪れます。
そこでやっと事の重大さに気が付き、なんとか留年だけは避けようと必死に勉強。生活態度も改め、どうにか三年生に上がることができました。

 

関東学院大学の建築学科に入学。

留年の危機に陥るくらいの私ですから、もちろん高校卒業後の進路など考えているわけがありません。でも、なんとなくテレビで見る”東京”に行ってみたい、という憧れから神奈川の大学を受験します。
地方出身者あるあるだと思いますが、神奈川(埼玉・千葉)=関東=東京という認識ですね。

甘えん坊の三男坊だったので両親は随分気を揉んでいましたが、「建築士になるから!」と説得をし、関東学院大学の建築学科に入学しました。

 

建築業界に就職。

今となっては恥ずかしながら、とにかく志の低い学生でしたので、学校にはサークル活動や友達に会うために通っているような毎日。
音楽が大好きな次男の影響もあって軽音サークルでバンド活動に明け暮れる日々でした。

でも、こんな楽しいだけの学生生活も永遠には続きません。あっという間に卒業の年を迎え、また「次は何をすればいいんだろう」という壁にぶつかります。

相変わらずやりたいことは見つからず、「とりあえず建築学科を卒業したし父親も建築士だから・・・」というふわっとした理由で建築業の会社に入社します。

 

社会人として挫折。

入社してすぐに、私は衝撃を受けます。
「社会人ってこんなに大変なの!?」

新人ですから仕事も思うように進められないし、そのせいでめちゃくちゃ怒られるし、仕事が終わらないから残業続きで寝る時間もない・・・
こんなしんどい生活は生まれて初めてでした。

もちろん、学生時代にもいくつかアルバイトをしたことがあったので、働くというイメージはできていたつもりです。でも“正社員”という現実は想像をはるかに超えて厳しいものでした。

今までぬるま湯に浸かり続けてきた私は、毎日頭から氷水をかぶるような社会人生活に耐え切れず、わずか8カ月であっさり退社する道を選びます。

 

とりあえず派遣社員になる。

どんなに遊んで暮らしたいぐーたら人間でも、無職という選択肢はありえません。なぜなら、最低でも家賃の分だけは稼がないと、寝る場所がなくなってしまうからです。これも地方出身者あるあるかもしれませんね。
そこで手っ取り早く見つけた仕事が工場勤務の派遣社員でした。

工場は9時に始まり17時に終わります。

残業はしてもしなくてもOK、もしやれば残業代もきっちりもらえます。派遣契約で決められた業務を黙々とこなし、それ以上は覚える必要もありません。

「楽だなぁ・・・」

派遣先の職場に気の合う仲間も多く、何も考えずにだらだらと働いていました。

 

人生が変わるできごと。

そんなこんなで、ふと気づけば私は25歳になっていました。相変わらず将来は見えておらず、のらりくらりと過ごしていたある日、人生が大きく変わる出来事が起きます。

兄弟であり、親友であり、私にとってかけがえのない存在だった次男が、突然他界したのです。

私が物心ついたころから、近くにいるのが当たり前で、自分の分身のように接してきた兄がもういない・・・
時間がたった今でも、当時の気持ちはうまく言葉にすることができません。

ただ、心にとてつもない穴が空き、自分が抜け殻になってしまったように感じました。
そして、人間同士のつながりは、意外にも脆く儚いものだということを知りました。

だから、時間を共有できることを当たり前に思うのではなく、大切にしなければいけない、と。

 

自分を見つめ直す。

兄の死をきっかけに、自分がいろんな人に甘えて生きているんだ、ということを痛いほどに実感しました。
兄はもちろん、その兄を失いどん底にいる自分に手を差し伸べてくれた親友や仲間、家族。

彼らの助けがなければ、私は兄の死から立ち直ることができなかったと思います。
普段はなかなか気づくことができないかもしれませんが、きっとすべての人がこうして助け合い、支え合って生きているのではないでしょうか。

そして何より、私と同じように家族を失い、悲しみのどん底にいながらも私を励ましてくれる両親のことを想いました。

ことのきに初めて、甘えん坊の三男坊は「もう親の悲しむ顔は見たくない、自分もしっかり生きていかなければ・・・」と強く感じ、人生を見つめ直すことになったのです。

 

Webデザイナーになる決意。

死んだ兄は音楽が大好きで、私たちはよく好きな音楽についても語り合っていました。そんな彼の遺品の中からは、彼自身が作ったたくさんの音源が出てきました。
私は、兄が生きていた証としてこの音源を一つのアルバムにまとめよう、と考えます。そして、完成した作品に「SONIDO」という名前を付けました。

そのアルバム制作をする中で、ジャケットのデザインをしながら「デザインって面白いし飽きないな」と、ふと気がつきます。

もしかして、デザインの仕事なら、こんな自分でも一生懸命打ち込めるかもしれない!
そして、当時はまだ少なかったWebデザイナーになる決意をしたのです。

 

大阪でのWebデザイナーデビュー

新しい仕事をするのに選んだ場所は大阪でした。
一番の理由は、友達もいない、コネもないという厳しい環境に身を置きたかったから。

ここまで読んでくださった方は薄々気がついているかと思いますが、私は決して強い人間ではありません。
ですから、自分で自分を追い込む必要があると感じたのです。

幸運なことに、未経験にも関わらず熱意だけでWeb制作会社に就職することができました。

 

デザイナーとしての修行の日々。

とにかく手に職を持ちたかった私は、その制作会社でひたすらOJTの毎日。仕事は連日深夜にまで及び、休日も自分で勉強するという苦行の日々を過ごしました。

しかも、月収10万円・・・
10万円ですよ?

正直、生活するのにも足りず、クレジットカードでお金を借りてしのいでいました。
以前の自分なら、とっくに「やーめた」となっている状況。

でも、大阪という環境や自分が望んだ仕事だったこともあり、なんとかWEBスキルを身に着けるまで頑張ることができました。
このときに、自分は好きなことや興味があることをとことん追求する、意外と粘り強い性格であることを発見しました。

 

友人の会社に転職。

ようやくWebデザイナーとして一人前になったころ、起業した友人から「うちに来ないか?」という誘いをもらいます。

今働いている会社に申し訳ないという気持ちもありましたが、とにかく普通の生活がしたいという想いから、その友人の会社に転職します。

 

3度の倒産を経験。

その後、Webデザイナーとして何度か職場が変わります。
転職の理由は倒産。しかも、3社で経験しました。

どの会社でも経営の雲行きが怪しくなってくると、社内の雰囲気は悪くなり、給料も未払いが続きます。

目の前で経営者が困っているのに、当時の私には助けてあげる方法がわかりません。
だからせめて、辞めてほしいと言われるまでは自分にできることで役に立とうと、借金をしながら勤務していました。

 

30歳で神奈川に移住。

3度目の倒産の後、悪い流れを変えたいと思い神奈川に引っ越すことにしました。
学生時代の友達も多く、「いつかは戻ってくる」と約束していたことも後押しになりました。

とはいえ、住まいも仕事も決まっているわけではなかったので、友達の家に居候して就職活動をするというちょっと無謀な移住です。
でも、私にはこれまでにはなかった武器がありました。

Webデザイナーとしてのスキルです!
このスキルのおかげでなんとか内定をもらうことができ、とある制作会社でWebデザイナーの仕事を始めることになりました。

 

34歳で独立。

夢だったWebデザイナーとしての生活。経営状態も安定している会社。働きやすい職場環境・・・。
何一つ、不自由はありませんでした。それに、内定をもらったときに、私はこの会社に骨を埋める覚悟で就職したつもりでした。

しかし数年後、こんな毎日に少し違和感を覚えるようになります。
「私は本当に誰かの役に立っているのだろうか?」

もちろん、会社の中ではデザイナーの一人として頼りにしてもらっています。
でも、「自分が作ったものや自分の仕事はお客様に喜んでもらえているのか」「自分は誰かを助けてあげることができているのか」

社内にいるデザイナーという立場では、それを実感できる機会がほとんどないのです。
もともと寂しがりやで、人とのつながりを大切にしている自分にとっては、この状況はとてももどかしく感じられました。
そこで、お客様と直接コミュニケーションを取りながら仕事ができるよう、独立を決意するのです。

 

集客コンサルタントとして。

それまでは、社内の人間から指示されたことをきっちりホームページに反映させていれば、優秀なデザイナーとして評価されていました。
でも、独立して現場でお客様の声を聞くようになると、すぐに“単なるWebデザイナー”ではダメなんだ、ということに気付きます。

本当にお客様にご満足いただくには、しっかりお役に立てなければならないのです。
お客様がどんな悩みを抱えているのか、どんな未来を思い描いているのかを知り、ホームページを使ってその未来を実現してもらうこと。これが、仕事における私の役割だと思いました。

そのために、自分にはまだまだ知識や情報が足りない・・・こうして、マーケティングを学び始めました。
あれほど勉強嫌いだった私ですが、不思議なことにマーケティングの勉強は何の苦にもなりません。それどころか、喜ぶお客様の顔を想像し、ワクワクしながら楽しんで取り組んでいるのです。

 

これが“やりがい”なのか、と感じました。
そして、マーケティングを実践するにつれて次第に売り上げは上がっていきました。

私が会社員時代に求めていたものの正体はこれだったのですね。

こうして、現在の須山三郎に至ります。

 

SONIDOの大切なキーワード。それは「信頼と絆」

これまでの経験から、私は人とのつながりや絆の大切さ、そして自分はみんなに助けてもらって生きている、ということを学びました。

こうしたこともあって、お客様と良い関係を築き、ホームページで助けられることがあればお手伝いしようという想いで、SONIDOの”想い”は「信頼と絆」です。
この”想い”を忘れることなく、これからも仕事に向き合っていきたいと考えております。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
そして、いつか皆様ともお会いできることを楽しみにしております。

SONIDO 代表 須山三郎

 

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